私たちの神聖な性質

日向ぼっこ

2016年01月14日 18:21








日常で、
不平不満を言っているのか!
   or
よかったことを言っているのか!

気がつくことからスタート。。  
  by さとうみつろう


onelove∞LIFE で行う《過去完了》は上記のことが大きなポイントです。


《今》が大事。とよく聞くし
そうしたいのになかなかできない人
多いと想います。

過去へ生きてることも気がついていない人も多いです。

わたしも、
《今ここ》を意識してても
ふと、過去へワープしてしまっていることがしょっちゅうあります。

例えば、『あのとき、こんな風に言えばよかったな』とか
『あのとき、なぜ、あんな風になったのかなぁ』とか
『あの人ってなぜあんな風に言ったのかなぁ』とか

過去の出来事にたいして
自分自身に問いかけてしまうのです。

過去へ向けた 自問自答です。

過去を完了したいのなら
そんな自問自答を繰り返していては終わりません。




新しい現実を創りたいなら、“やり方”を変えなければ変わりません。

現実は自分自身が創りだしています。



↓↓↓ここからは、本の抜粋です↓↓↓↓

《なぜ後悔するのか》
 過去に浸りきっていると、現在の喜びが失われてしまう。
過去の間違いを振り返って、もっとうまく、あるいは間違わずにできていたならと自分を責め、後悔することは、私たちの大切な生命力を下げてしまう。
もっと良い選択をしていたなら、もっと幸せな人生だろうと思うと、
しだいに憂鬱になったり、落ち込んだりしかねない。

しかし、活力がいっぱいになったバケツからその満ち足りた気持ちを後悔の念が流出させてしまわないよう、
その穴をふさぐことができる。
私たちがここで気づかなくてはいけないことは、もしその時もっとうまくやることができたなら、“やっていたはずだ”ということだ。
どんな状況でも、人はその時自分の知る限りの最善を尽くしているものだ。
もしわかっていたら、それを実行していたのだ。

その状況が起こったのは、もっと効果的な方法に対して私たちガ心を開くことができるようになるためだろう。
私たちは、物事を適切なやり方でやって学ぶこともあれば、失敗をして学ぶこともある。
結果は同じなのだ。
自転車の乗り方を練習する時、倒れて学ぶこともあれば、
うまくバランスをとって学ぶこともあるだろう。
どんな体験も、学ぶ過程があり、究極的にはそれを把握するに至る。
小さな思考はただ、失敗も成功もどちらも学びに貢献しているということを見ないのだ。

もしすべてを完璧にやる方法を知っていたなら、最初っからここには存在していないはずだ。
地球は私たちの信条を具現化することによって、私たちが学ぶのを助けてくれる。
しかもそれがとても早くやってくることもある。

人間として体験することが、私たちの神聖な性質を発達させ、磨くことになる。
完璧な人々だけがまた生まれてくることを許されるのなら、誰もここにはいないだろう。
幸運にも、すべてにとって到達していることがこの地球に生まれてくる条件ではないのだ。
それは私たちの旅の最終地点なのだ。
行動することによって学ぶのが、進化の方法なのだ。

もし親たちが子供をもつ前に完璧でなくてはいけないのなら、子供なと生まれてこないだろう。
良い親になる方法としては、まず親になることなのだ。

実行することによって学ぶのだ。
もし先生たちが、教えるすべを知るまで待たなくてはいけないのなら、教えることなど始まらないだろう。

私たちは教えながら学ぶのだ。
そして生きながら到達していくのだ。

後悔に対するもう一つの手だては、失われた機会は“またやって来る”ということだ。
ある機会がやって来るということは、私たちの意識にその準備ができたからだ。
そしてもし、新しい階段の体験を自分の人生に引き寄せる心の準備ができていたにもかかわらず、ある好機がすり抜けていったとしても、心配はない。
それは“またやって来る”。
この原則は「大いなる意識の権利」と呼ばれている。
あなたのところにやって来るもの、あなたが持っているものすべては、あなたが思考と心がもつ磁力に引き寄せられてきたものだ。
あることに関する手段が訪れては去るかもしれないが、あなたが同じ意識を持っているうちは、必ずもう一度チャンスが訪れる。

あなたが必要なものや、受けとるに値するものは、そこにやって来る。

手に入れたりそれにしがみついてるために必死になったり、操作さたりしなくてもいいのだ。
ベツノ扉が開いてくれる。
そしてあなたはそこに姿を現し、そこにはいっていくようにすることだ。
前回の機会を失って嘆いているあなたは、次の機会を失わないようにすること。

後悔の念に対する大さんの回答は、自分たちのためにならない人々や体験を、“まず祝福してから手放すことだ”。
大いなる意識の権利によって、ある種の体験はまたやって来るが、一方で、もうやって来ない体験もある。
それはまさしく私たちの意識がその体験よりも成長したからだ。
もう卒業した体験は、繰り返し起こるよう、または続くように要求すべきではない。
人生のその階段はもう掌握したのだ。
そして今より良いとこへの準備ができたのだ。

だから、失われた良きことを呟き悲しまないように。
失われた“良きこと”などは存在しないのだから。
もしあるものがあなたにとって良いものならば、それは今手に入るのだ。
ある時期何かがあなたにとって良かったからといって、それが今もあなたの役に立ちことにはならない。
ただ座って、昨日のデザートのことを夢見るのはやめること。
それはもう古くなっている。
あなたのためには新しいごちそうが待っていて、ただ目を開けてそれを見、心を開いてそれを受け入れればいいのだ。

ーーーーーーーーーーーーここまでーーーー


わたしは、
『受け入れることは、手放すこと』だと想っています。

手放すことことを誤解している人がいると感じます。


手放すことは「あっちへいけー」と言うことではないのです。

「自分の一部として深く愛し、深く受け入れること」

そう受け入れることで、手放せるのです。

Satsuki✨




onelove∞LIFE
では
過去を完了させる儀式(卒業式)をします。
そうするこで、
過去を完了させ
今ここと、未来を望み通りへと変換させていくのです。

第一回目
onelove∞LIFE
2月24日は、嬉しいことに定員数に満たしました。
キャンセル待ちをして頂くか
第二回目へご案内致します✨


感謝いっぱいです❤


All is well.








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